株式会社LIALL代表取締役/一般社団法人LIALLスポーツクラブ代表理事/日本サッカー協会JFAコーチ/LIALLサッカー・ゴールキーパースクールアドバイザー/スポーツビジネス専門コーチの楠本晃義です。
突然ですが・・・。
人は常に「変わらない」という決断をしているのは知っていますか?
「そんなことはない。私は変わりたいと持っています。」
そんな声が聞こえてきそうですね。
でも実際には、いろいろと不満や悩みがあったとしても「安定・安心」を選択しています。
「このままの方が楽だから。」
「新しいことを始めたらもっと大変になる。」
そうやって、どこかブレーキをかけてしまっています。
人は、何かを変えようとするとストレスを感じます。
でも、本当に変わりたければ、そのストレスに立ち向かう勇気が必要です。
なぜそんなことを言うかというと、実は以前の僕がそうだったからです。
周りの目や評価が気になってしまい、自分が本当にやりたいことではなく、誰かに評価されるためにサッカーや仕事をしていた時期がありました。
その中でも努力してステップアップしていったのですが、それでもどこか違和感みたいなものをずっと感じていたのです。
だから、外の世界を見ることが怖くて、未だ卵の殻を破ることできないでいる方や、これから新らしいことに挑戦をしようとしている方の力になりたいと思いこのサイトを始めました。
最後にお聞きします。
「あなたはこのままでいいんですか?」
改めまして、
〜知れば前向きになれる〜
株式会社LIALL代表取締役/一般社団法人LIALLスポーツクラブ代表理事/日本サッカー協会JFAコーチ/LIALLサッカー・ゴールキーパースクールアドバイザー/スポーツビジネス専門コーチの楠本晃義です。
どうぞ、よろしくお願いします!!
ストーリー
20歳のときにバイク事故で全治10ヶ月の大怪我をしてしまい、これから選手として続けていくか悩んでいました。
将来は、教員になって高校サッカーの監督になり国立競技場を目指したいとも思っていたので、この機会にサッカーコーチのライセンスを取りに行くことにしました。
ライセンス講習会では「サッカーはこうやって教えてもらうと面白いんだ!」といったサッカーの本質的なことをインストラクターに見させてもらえたことがきっかけで、選手として続けることを辞めてコーチとしてサッカーに関わることにしました。
大学生のときから、県や関東トレセンの活動に関わらさせていただき、さまざまな方々とお会いすることができ、大学卒業後は川崎フロンターレ(Jリーグのクラブ)とコーチ契約を結ぶことができました。
川崎フロンターレには、テレビで見たことのある元プロサッカー選手や実績のあるコーチがたくさんいましたし、子どもたちはとても運動能力が高く、意欲的な子ども(現在は日本代表や海外クラブで活躍中)ばかりでした。
26歳〜29歳のとき、ダノンネーションズカップという12歳以下の大会で優勝(4年連続)を果たし、日本代表チームとしてフランス、ブラジル(インフルエンザ流行で中止)、南アフリカ、スペインで開催された世界大会にスタッフとして帯同し、世界の子どもたちのサッカーに対する熱意の違いや文化・慣習の違いなどを直接肌で感じることができました。
しかし、順風満帆だったコーチ人生。いや、実際にはそう勘違いしていたコーチ人生が、尊敬していたコーチの言葉とそのコーチの退社を機に、僕がどれだけ勘違いをしていたのかを思い知らされることになりました。
「おまえはクラブを辞めたら、自分一人の力で人が集められるか?」
「今、ここに集まっている毎年3,000人を超える子どもたちは、このエンブレムに憧れて入ってきている。おまえの力ではない。」
「子どもたちや親御さんたちが、おまえに教えてもらいたい。おまえが教えてくれるクラブに入りたいと思ってもらえて、初めて本物のコーチだ!!」
その言葉を残し、数ヶ月後そのコーチは移籍してしまいました。
正直、頭をハンマーで叩かれた感覚だった。
Jクラブだけでじゃなく、大企業でもそうかも知れないけど、そこに所属しているだけで、周りからは一目置かれる。
コーチとしてまだまだ未熟者だった僕が、いつのまにか勘違いしていたことを説いてくれたのだと思いました。
30歳のときに7年務めたクラブを辞め、栃木SCへの移籍を決断しました。
川崎フロンターレにも残る選択肢はあったのですが、本当の意味での自分の進化が試される環境を選びました。
栃木SCだけではなく、栃木県全体を見てもゴールキーパーを育成するようなスクールはなく、首都圏では当たり前であった環境がないことに驚かされました。
ここで何か変革を起こせなければ自分には力がないと、試されているのだと感じました。
これはジタバタしてる場合ではないと思い、栃木SCでは1ヶ月間で体験会を開催し、4月にはゴールキーパースクールを立ち上げ、クリニック、キャンプなどを通して、1年間で約150名の子どもたちにゴールキーパーの指導を行いました。
また同時に、日本サッカー協会のナショナルトレセンコーチとナショナルインストラクターにも就任し、ナショナルトレセン(関東で選ばれてきた選手)での指導やコーチングラインセンス講習会の受講者にインストラクティングすることも行いました。さらに、ナショナルトレセンコーチの仕事では、各都県で開催されるフットボールカンファレンでの講演などもあり、数百人の前で講演する機会もいただきました。
33歳のときに栃木SCのトップチームのゴールキーパーコーチに就任し、就任2年目でJ2昇格も経験することができました。その後、アカデミー(育成)に戻ってきて、アカデミーサブダイレクターとしてマネジメントも学ことができました。
それからは、36歳のときに会社を起業(株式会社LIALL)し、栃木SCとLIALLの2社で働くことになりました。
とはいえ、僕には全く会社経営の知識がなかったので、LIALLではマーケティングや集客の仕方、経理関係など、0を1にすることの難しさを初めて経験することになりました。
そして、38歳のときに栃木SCを退社し、完全に独立。39歳で2社目となる一般社団法人LIALLスポーツクラブを設立。現在では、2社を経営しながら、日本サッカー協会JFAコーチの仕事やスポーツビジネス専門コーチとして、経営だけでなく、サッカーのコーチとして、またスポーツビジネス専門コーチとして、幅広く活動しています。
この仕事への思い
さまざまなやり方やノウハウといった情報があります。
しかし、それ以前に人間力が大切だと思っています。
「何を伝えるかではなく、誰が伝えるか。」
が重要です。
僕はコーチングを通して、これからも人のために行動できる人材を育てていきます。